新入生に対する「学科紹介」でのスピーチ

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新入生に対する「学科紹介」でのスピーチ
香取眞理(2006年4月4日)

皆さん、本日は中央大学理工学部物理学科にご入学おめでとうございます。(ならびに大学院に進学された方々、ご入学、ご進学をお祝いいたします。)また、本日の入学式にご列席下さった新入生の御父母、ご親戚の皆様、晴れて今日の日を迎えられましたことを、心よりお喜び申し上げます。私は本年度の物理学教室委員ということで、新入生への歓迎の挨拶をいたします。

先ほどの入学式で、学長、理事また理工学部長からすでにお祝いの言葉がありました。私は、やはり物理の話をすることにしましょう。

皆さんは、我々が苦心して作った物理学の入試問題を見事に解答して、今日から物理学教室の一員になることになりました。ここでいう物理学の問題とは、たとえば「質量 m のボールを原点から初速度 v で投げ上げたとき、それから t 秒後のボールの位置と速度を求めよ」といったものです。これは、ニュートンの運動方程式をたて、それを与えられた初期条件のもとに解くことによって正解を得ることができます。しかし本当のことを言いますと、この問題の設定もまた君たちの解答も、20世紀以降の物理学としては、ナンセンスであり、正しいものとは言えません。すなわち、次の3つの観点から君たちがこれまで習得してきた物理学(言い換えると19世紀までの物理学)はその正当性を否定されているのです。

(1)「ある時刻にある場所からボールを投げる」と言ったときには、ボールをなげるという行為も、その後のボールの運動とも独立に時間と空間というものを設定できることを前提にしています。これを「絶対時空」といいますが、これはアインシュタインの相対性理論により、否定されました。時間と空間(時空)は一般には、物体の運動を観測する観測者の運動状態に依存し、さらには物体自身の運動状態すなわちエネルギーや質量の存在に依存して変化しうるものです。

(2)「ある場所からある速度で投げる」としましたが、このような初期条件の設定は、量子力学におけるハイゼンベルクの不確定性原理によって不可能であることが示されています。位置と速度とを同時に正確に決定することは原理的に不可能であるというものです。

(3)さらにカオス現象の定式化があります。初期条件を本当に正確に指定することが出来なくても、その誤差(誤差は実験にはかならず付きまとうものですし)が分かっていれば、その誤差の範囲で将来を予測できるはずと物理学者は長い間思っていました。しかしそれが成り立つのは、むしろ特別な場合にであり、多くの場合は(いわゆる非線形な現象では)初期にはごく僅かだった誤差が、時間の関数として急速に増大することが明らかになりました。このカオス現象は実質的な意味での予想不能性を意味し、なぜ天気の長期予報が難しいか、あるいは株価の変動がどうしてこうも複雑なのかを説明します。

皆さんが高校までに習ってきた物理(すなわち19世紀までの物理)を根底から否定してしまった後の約100年は、それではどんな時代であったのでしょうか。不確定性の時代?あるいは不毛の時代?とんでもない!この100年間ほど物理学が発展した時代はない。

相対論は時空の発展というものを記述することを可能にした。つまり、それまでは単なる静的な器であった宇宙のダイナミカルな時間発展、すなわち宇宙論を生む。

量子力学は電子や原子の振る舞いを記述し、今日のエレクトロニクスやコンピュータ技術、新物質開発の基礎を与えている。

カオス理論は、多くの粒子のマクロな振る舞いを統計的に予測する統計力学に基盤をあたえ、またフラクタル物理学という新しい分野を生む。

これらの発展は、20世紀の科学技術の飛躍的な進歩(これは多分に2度の世界大戦とその後の多くの紛争における軍事研究と関係しているのも事実であるが)とあいまった多くのすばらしい実験的な発見、発明があって初めて可能になったものである。実験物理学はまさに20世紀において全盛であり、超伝導物質、量子ホール効果などの物性実験、X線天文学、生物物理学、情報科学といった分野の専門家がいまここにもいらっしゃいます。

物理はますます面白く、いくらでも勉強することがある。教えてくれる先生も、先輩もいる。合格おめでとう!!

「君たちは、バスに乗り遅れたのか?」こうやって話を聴くと、新しいすばらしい発見はすべてし尽くされてしまい、後はそれを先生から教えてもらうだけではないか?これを「面白いところに連れて行ってくれるバスはすでに出発してしまっていて、我々はそれに乗り遅れた。」と今言ってみた。「昨日の夜出発した、あるいは25年前に出発したバスに乗って、方々を訪ね歩いてから帰ってきた先輩たちの話は面白い。それを詳しく聴いてみたい。でも、何で自分たちは乗れなかったのか?次のバスはもう出ないそうだ。残念だ・・・」

あるいは、こういった言い方をすると、次のように今頭の中で思っている人もいることでしょう。「私の、僕の乗るバスはもうとっくに決めてある。(宇宙物理学だ、素粒子の超弦理論だ・・・)」「いろいろな方面行きのバスがあるらしいが、自分はその・・・行きのバスに乗るために、とにかくそこの停留所の列に加わって待つだけだ!」「せっかく物理学科に入ったのに、うろうろしていると、さらに乗るのが遅れてしまい、『超弦理論に基づく宇宙論』行きの最終バスに間に合わなくなる・・・」

こういった考え方は、あまりに不毛なのでやめましょう。それよりも君たちに勧めたい方策があります。

未だバスが通っていない。それどころか道もない。しかしその先には、さらに面白い物理学があるかもしれない。それを見つけて、そっちを目指して歩き出す!

この戦略にはポイントが3つある。

ポイント1:さらに面白い物理が先にあること。(下手な方向に歩き出すと、迷子になったり、行き止まりになったり。)

ポイント2:まだバスが開通していないこと。(バスが開通しているのに、歩いていたのでは空しい。)

ポイント3:正しい方向で未開拓の道を見つけても、まったくの手探りで進むのは難しい。普通に物理学科で1年から3年の講義で習うことが、自然と先に進むヒントになるようなもの。自然と習ったことを超えていくようなルートをとるこをが望ましい。(自分のいままでの物理の知識、経験がむしろ大いに役立つことがベスト。)

この3つのポイントをおさえるのが大切。しかし、そんなうまい「道」があるのか?そんな「道」を探しているうちに時間が過ぎていってしまうのではないか?と思うでしょう。実は、(上の3つのポイントを大いに意識しつつ)新たな「道」を捜し求めることは、我々大学教員が、教育と研究の双方において常に、毎日、考えていることである。4年生での卒業研究のテーマ選び、大学院生と一緒にトライする研究課題、そして自分自身が研究をし、学会で発表し、論文を公表するテーマの選択。

ここに、教える立場の私たち教員と、教わる立場の君たち学生とが共存する場があるのです。これが物理学教室というものです。いいですか、先ほど「君たちは今日から我々物理学教室の一員になった」と申し上げましたが、この意味がここにあります。(なにも、「中大物理学教室」という大きな看板を掲げた広い教室に君たちが収納された訳ではありません。もちろん教室やセミナー室はいくつもありますが。)今日から我々と一緒に、一生懸命物理を勉強し、楽しみ、そして新しい物理学の方向を探して、ともに大いに悩みましょう。大いに野心や野望を持ち、しかし謙虚に学び、日々を有意義に過ごしましょう。先生、先輩(院生)にいろいろと尋ねてみましょう。そして4年後には、もちろん20世紀の物理学をしっかりと身に着け、しかしそれだけでなく、21世紀をいかに切り開いていくか、未開拓のしかし実り多い道を探し求めることの出来る力を持った人間になって欲しいと思います。